ヘイトスピーチと言論の自由
先週のある夜、家の隣の兄貴のR君がいつものごとくフラッと遊びに来て、夜遅くまで喧々諤々の議論をした。
お題は、言論の自由の観点からヘイトスピーチは許されるべきか(もしくは法的に罰するべきか)、次期政権にふさわしいのはトランプかバイデンか、の2点。
どっちも難しく、そしてタイムリーなお題。結論としては、アメリカ男子2名を前に、若干文法は崩れながらも、これがディベート大会なら、どっちのポイントでも勝ったな!と思える議論を(もちろん英語で)展開した自分に惚れ惚れしてしまった(なぜなら、ほとんど勝ったことがないから…笑)。
トランプかバイデンか、はアジアの安全保障政策に話を持ち込んだので、完全に私の土俵✌️。歴史的観点から最新の安保情勢まで、その辺のアメリカ人に負けるわけはないのである。甘いな、男子ども。そしてまさか日本の軍事力が世界5位だとは知らなかったという、それなりに知的なはずのアメリカ男子たち。DC近郊に住む修士号をもっているアメリカ男子でも、アジアや日本政治に触れてこなかったタイプは、意外とこの辺について全然知らない(まぁ、これがトランプ王国に行ったら、もっと顕著だろうけども)。
ちなみに、憲法9条だって知らないアメリカ人は腐るほどいる。まぁ普通の日本人が、米国憲法修正条項第2条を知らないようなもの。修正条項第2条とは、武器保有権とも言い、これによって銃の保持がアメリカでは憲法によって保障されていると解釈しているわけです。アメリカ人と銃の議論をすると必ず、「2nd amendment(修正条項第2条)」という言葉が出てくるので、いい加減覚えた笑。
それにしても、感情的にならない人との議論は、スポーツのようで楽しい。私たちも「good discussion! It was fun!」👍と言い合ってお開きにしたのだけど、こういった議論をすると、自分の気づかなかった論点・物の見方を知ることができるし、それによって、自分とは異なる意見の人とも、より建設的な会話ができるようになることもある。昨日聞いた面白かった論点は、「ヘイトスピーチは、どこからどこがヘイトなのかが線引きが難しい。昨日までヘイトでなかったものが今日にはヘイトになるのも困る。そもそも、ヘイトスピーチはガス抜きみたいなものなので、これを法的に罰する方が危険だ」という見方。
ほう。なるほどね…
彼らは、何かいうことでスッキリしたいのか。ヘイトスピーチを嫌う側としては、それが引き金で実際にヘイトされている側を殺すような行動に出る人もいると予想できるから、「言論の自由」があるからといって何でも言っていいわけじゃない、と思う。とはいえ、法的に罰するというのはそう簡単でもない。でも、考えてみると、ヘイトスピーチをするタイプは、前の方が良かったと思っているタイプか、ポジティブに物事を見れないタイプか、自分には影響はないのに他人に権利を与えると、自分の何かが減った気がするインセキュアになってる人たち。すでに実は守りに入っている人たちなのだ。
ツイッター界では名だたる海外インフルエンサーで、社畜という言葉を作った某氏のツイッターの内容とその9万人のフォロワーの議論を見ていても、MAGAと同じ匂いがする。基本的に外国はどこも危険で食事は不味くて最悪で、「だから日本はすごい」がお馴染みの論旨展開。私はネガティブな発想が大嫌いなので、見ているだけでイライラするし、世の中に良い影響はないと思ってしまうけども、きっと彼らも上記のようなタイプなのではないかと思えてきた。
考えてみると、世の中には、ネガティブなことに目がいく人と、ポジティブなことに目がいく人がいる。きっと彼らはネガティブなことに気がいっていて、インセキュアになっているのだろう。本当にすごいと信じていたら、自信があるなら、日本すごいとわざわざ連呼しなくても良いのだから。でもこうやって考えると、ガス抜きが必要なら、ある程度は言わせておけば良いのかもしれない。
いつも彼らのツイート内容を見るとショックなほどに、ネガティブさで溢れているのだけど、世の中には、色んな精神状態・心理状態の人がいるのだし、みんながポジティブでハッピーだった方が良いけど、まぁそれは自分だって毎日は無理な話なんだし。
と、こういう感じで、自分の考えとは違う考えの人と話すと、別の世界が見えてきて、それによって自分の思考も豊かになるのだ。だから、(何度もいうけど)感情を切り離して議論できる人との議論はスポーツのようで、とても有益である。