まぁ表題の通り。
私の人生が今どんなことになっちゃってるかなんて、数人しか知らない。どんな戦いに挑み、どんな毎日になっているかなんて、戦友である夫くらいしか知らないと言っても過言ではない。このブログを丹念に読んでいれば、気づくこともあるかもしれないけれど、ここにだってすべては書いていない(まぁテーマがズレるし)。あとで全部本に書いて出版したる!とは思っているけれど。
でも、蓋を開けてみれば、どこの家も大なり小なり、そんな感じ。
最近、20代30代前半までの人生は、お遊びだったのかな、予行練習だったのかな、と思えるくらい楽勝だったという気がしている(あの頃は必死こいて生きてると思ってたのだが)。自分のことさえ心配してれば良かったからなぁ。
19歳の時、なんと私は「人生がどんなもんか、だいたいわかった」と思ってつまらなく感じていた時期がある。
うん、それはね、
大間違いだったね!!!
と30+年後の私は思う。
そりゃ親に面倒見てもらって、勉強だけしてりゃ良かったのだから、実際の人生の深さと怖さなんて知らなかったよね。本で読んで宇宙がどんなものか知ったつもりでいるのと同じ。実際に行かなければ、本当に知ることはない。

長く生きれば生きるほど、さまざまな困難が待ち受けており、あらゆる失敗や悲しみや悔しさにぶち当たりながら、まさか自分がこんな状況に陥ることがあるなんて、と驚きながら、それでもなんとか生き抜こうと知恵を絞る。
それが人生。
どんな人も、多かれ少なかれ、そう思うんだと思う。
外から見て、「あの人はラッキーでお金持ちで幸せいっぱいでいいよなぁ」と感じたとしても、そういう瞬間が人生にあったとしても、母が昔言っていたように、おしなべてみれば「人生は、プラマイゼロ」であり、この世で生きていく中で、一度も困難がなかった人、超楽勝で人生勝ち抜いた人、なんて実在しないと思う。側から見て、そう見えるだけだ。
でもそんなことを、今どんだけ死にそうになって必死こいて毎日なんとか生きてるかなんて、みんなに話して回る人はいない。その端っこを共有することはあっても。でも人に話をじっくり聞いてみると、いやいや、どこの家庭でも色々あるんですよ、これが。
病気で腸も子宮も取ったけど、食べるたびに必ずお腹が痛くなる友達。
子供が精神障害を抱えていて、何をどうしたら良いのかわからない友人。
別居を始めた友人。
・・・・
色んな人が、毎日必死こいて生きてる。
でも語るのはたった一部。
人が語るその言葉の裏には、日々のそういう気持ちや経験が隠れている。
自分とは違う痛み、自分とは違う悔しさ、誰も褒めてくれない必死の頑張りが。
もちろん、信じられないくらい幸せな瞬間も人生にはいくつもある。本当にドラマみたいな瞬間はたくさん経験してきた。だからやめられないって話ではあるので、辛いだけじゃない。でも、長く生きるということが、こうも大変なことだとは知りませんでしたよ。

道ゆく人々。
疲れた中年の人たち。
そんな人生を生き抜いてきた老年の人たち。
彼らはみんな、必死に人生を生き抜こうと戦う戦士たちなんだな。
そう思うと、どんなちょっとした会話でも、優しい言葉を返したくなるじゃないですか。
人生の大変さを知った分、より人に寛容になれるような。
そしてそれでも頑張ってきた老年の人には、自然と敬意を感じるような。
レベル46、ふとそんな気持ちになりました。
でさ、パトラッシュ。マジで疲れたよ… さーて、どうする?