アメリカには留学で来て、ここで就職してキャリアを積んで転職した後に結婚して、さらにアメリカに住むのが長くなっている。留学時から、学問の対象としてアメリカを選んだのであって、別に「アメリカが大好き!」だからアメリカに来たわけではない。ので、その辺についてアメリカそのものに対する期待は全然なかった。調査対象、みたいな存在だったので🤣
まさかそのまま居座ることになるとはねぇ…(下手したらこのまま骨まで居座るのかも?)
そんなわけで、最初は日本で見聞きしたアメリカと実際のアメリカのギャップに驚いたし、モノゴトが日本みたいにスムーズじゃないことにイライラしてたし、そもそも留学生同士は問題ないのにネイティブの英語がわからなくてこれまたイライラしてた。
だから、それから25年くらい経った今の私と、留学当初の私、渡米5年目の私、渡米10年目の私・・・ではそれぞれアメリカについての感想も知識レベルも全然違う。

さて今の私が振り返ってみて、アメリカに来て良かったと思える一番大きなポイントは、
「自分が人と同じでなくても良い」ことを全身全霊で理解できるようになり、
「じゃぁ、どうやって人と同じでない自分を代表して堂々と生きていくのか」についても学べたこと、
かなと思う。
アメリカには色々と教えてもらった(これがフランスであっても、トーゴであっても何か教えてもらったんだろうな)。
口先で「みんな違ってみんな良い」という概念を唱えることと、本当に価値観の違う相手が存在することを許すことは別のこと。社会的に集団生活的に期待される「普通」じゃないことを良しとし、それを計算に入れて社会の仕組みを作るのは、スムーズにいかないことを計算に入れなければならないことと同じ。面倒くさいし大変だといえばそう。基本型を作って全員それに統一してもらって、基本型をベースに仕組みを構築する方が、楽に決まってる。
アメリカには、「自分が人と違う感性を持ち、違う考え方で生きたいと思ったっていいんだ」ということを、実際に社会がそれを許していて、そういう風に社会が作られているのを見ることで、学ばせてもらったと思う(まぁ、今のアメリカは政治的な側面においてそれができなくなりそうで限界に来ているけれど)。
とはいえですよ。やっぱり日本でガッツリ最初に教育を受けているので、例えばラテン的な時間の流れとやり方の人と歩調を合わせるのは、うん、正直言って心の中でものすごい努力をしている。「じゃ、月曜5時ね」と約束したのに、「月曜5時で大丈夫?」と再確認するのが常識で、再確認したらしたで「返事なし」=「無理でした」になるような物事の進め方は、私は嫌いだ。うん、めっちゃ嫌い。物事がサッサと進まない。なぜ予定変更が必要なら事前に連絡しないのか理解できいない。付き合わなければ良いじゃんと思うでしょうけど、アメリカで生きていくなら、ここに根ざして生活を回して仕事をすれば、色んなパターンの人と付き合うことになってしまうのだ。

あ、しまった。アメリカに来て良かったことを書きたかったのに。まぁでも、ラテン的な人からしたら、「時間に小うるさくてキチキチしてセコセコ生きてるつまらん人たちも許容するのがアメリカ」なのかもしれないなぁ… 少なくとも、自分の価値観だけが正しいのではなく、別の価値観や視点もあるんだということ、それはそれで良しとして、折り合いをつけながら共存すること、を個人レベルではなく社会レベルで感じるのが、アメリカだと思う。
そんな国だから、個人としても、より自分らしさを保ったまま生きやすい(100%自分らしく生きれるとは言ってませんよ、比較的そうしやすい、ということ)んじゃないかな。こんなにも日本的にみたら型破りな人で溢れかえっていたら、そもそもこの国に「型」なんてないのかなと思わされるし(多分ない🤣)、型に合わせようとする方がバカバカしくなる。そして自分の意見をはっきり言いつつも、それとは違う人とも折り合いをつける話し方を学び、他人に合わせるよりも自分軸をしっかり持つ方に重点をおいて生きるようになった気がする。
今日はここまで。