先日ですね、1つ自分でも大人になったな、ステージ1つ上がったな、と思ったことがありまして。
とある分野で修行中なんですが、その修行パートナーが色々あって修行にもう2週間も参加できず。その前も風邪で休んでまして。その修行に命かけてる私としては、結構グッとくるものがありましてね。またその連絡がないというか、相手は日本人じゃないので、ホウレンソウとかないわけです。こっちから確認したら、やっぱり来れないとわかる感じ。もう練習場に着いてから、彼女は来れないと分かったことも2回はあった。
だんだん、私の心の中で、なんていうか黒い煙が広がっていくような気持ちにどうしてもなってしまいまして。心が狭いなと自分で自分が嫌。それでもやっぱりそう感じてしまうのは止められなかった。
他の人の視点で世界を見る
でも、ふと修行中に練習した、「別の人になったつもりで、その人の視点で世界を見てみる」を彼女に応用してみたらどうだろう、と思いついたのです。
彼女も修行を頑張るって最初は言ってたし、別に休みたいわけじゃないとも考えられる。先日はその家族に大変なことがあったと言ってたけど、もしかしたらすぐに事態が収まる状況じゃないのかもしれない。そういえば、家族や親戚がみんな彼女を頼りにしてるって言ってた。親戚は別の州に住んでるから、別の州に行ってるのかもしれない。それに、ちょうど転職の時期と言ってたから、それも重なって、それどころじゃない状況なのかもしれない・・・・
そうやって考えたら、やっと、なんか大変なのかもな。大丈夫かな。
そういう気持ちが私の中に生まれてくれました。
次に会ったら、心から「修行に戻ってきてくれて良かった!」って言える。
今までは、自分がこの修行に文字通り命を賭けて、そして懸けてる分、自分の中で掛け値の大きさに圧倒されて真剣になりすぎて、絶対に好成績を叩き出さなければ、という気持ちが大きすぎて、他の人の視点を見ようとする気持ちになる余裕がなかったのかもしれない。それに私の中で「こうあるべき!」という信念を相手にも押し付けていたのかもしれない。

心が楽になりました
で。
やっと寛容な気持ちになれた時、とても心が清々しくなって、そうなれた自分にホッとしたのです。
人に対して嫌な気持ちを心の中でとぐろを巻くように燻らせておくのは私は好きではありません。ネガティブな気持ちは自分の心を蝕んでいく気がする。疲れるし、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」よろしく、その人の他の小さな行動までもイライラの原因になり始める。
結局のところ、彼女に対して寛容になれたことは、彼女よりも、むしろ私の心を救ってくれた気がします。心がすっごく軽くなって、笑顔が戻ってきた。相手に対して寛容になってやる、んじゃなっくて、自分の精神の健康のために良いんだなと。
ネガティブな気持ちに自分の幸せまでも引き摺り下ろされず、「いいよ、私があなたの分までカバーできるから!」と思えたことで、むしろ自分に対してポジティブに「うん、できるできる!」とも思えた。
(もちろん状況によっては、相手にハッキリと自分がどう思っているのか、どうして欲しいのかを伝える必要はあります。実はもう彼女には2回伝えていました。今回の気づきはそういう点ではなく、ちょっと相手の状況を慮ってみる、ということができるか、という問題でした。)
このステップをなんとか自力で踏めたことは、自分で自分をめっちゃ褒めておこうと思います。レベル47(はい、誕生日でした!)、ちったぁ大人になったじゃんか。
いいの。みんな違う部分で短所があるんだから、他の人の短所はいいから、自分の未熟なところをすこーしずつ減らしていければ。
何歳になったって、素敵な女、素敵な大人の女を目指すのに遅い日はありません。
47とかだーいーぶ、歳を重ねてきたことに自分でもビックリですが、この1年も、自分の中の最高のいい女を目指して一歩ずつやっていこうと思います!