一期一会。
その意味を本当に感じながらこの言葉を口にする人は少ない。
一度死にかけた人や、歳をとった人には身に染みる言葉だけど。
私は一度交通事故で1つ間違ってたら死んでいた経験をしているので、「実は今日がこの人と会うのが最後になるかもしれない」という感覚をうっすらと感じながら生きている。本当に、死ぬ瞬間というのは、「え?今ですか?はい?まじで?!」って感じで、ヒョイっと現れることがあるのだ。
だから、なるべく私の能力の限りは丁寧に世界と向き合おうとはしている。なるべく、だし、私もキレ散らかしている日やバタバタして気が散っている日だってあるから、常にできているとは言えないけれど。
今日ふとしたことで、私の長年お世話になった先生が亡くなった日を知ってしまった。先生も外国に住んでいて、先生と直接LINEだけでつながっているだけで他に連絡の手段がなかったので、ある時から既読にならない日々が続き、それが1年経ち、2年経ち、もしかしたら・・・とは思っていた。たまに、まだ生きていることを願って猫さんの写真などを送ってみたけれど、既読にならなかったから、そうだろうな、とは感じてはいたんだけど。
でも、その亡くなった日というのが、私が最後に電話した日だった。
あの日、先生はLINEで、「先週、心臓の手術をしたんだ」と連絡してきた。そして先生はビデオ通話してきたけど、私はちょうどその日、明け方まで夫と大喧嘩して泣き腫らしていて、そんな顔でベッドから携帯を見ていたので、中学生の頃から知っているとはいえ恥ずかしくて、「私はビデオはONにはできない」と言って声だけで話したんだと思う。
病院のベッドからのビデオ通話だったみたいだけど、あの日、先生は電話のあと、そのまま亡くなったのだ。あれだけ口が悪く(笑)、頭の回転が早く、私に生きるための術をいくつか教えてくれた、「煮ても焼いても食えない」て感じの先生が、あっさりと亡くなったということが信じられなかった。結婚式にもわざわざアメリカに飛行機で来てくれると言ってくれたくらいの人だったのに(でもコロナで流れたから再会はできなかった)。
あの日、何の話をしたんだろう…
もっと頭が冷静だったら、心臓の手術の意味をその時に悟ることができただろうし、この世を去り行く人になるかもしれないと思って、愛を込めて言葉をかけられたかもしれないのに、あの日私は夫との大喧嘩で頭はあんまり回っていなかった。普通の会話をして「じゃぁまたね、手術頑張ってね」的な感じで終わった気がする。ビデオ通話でお見送りできなかったのが、心の底から悔しい。
一期一会。
どんな相手でも、今日で会うのが最後になることがある。
私はアメリカに住んでいるので、日本の友達とはこれから歳をとって行くとあんまり会おうにも会えなくて、少しずつそうなる人が出始めるんだろうなと、既に小さい覚悟はしている。海外で生きるとはそういうことだ。
だから、できればその人に出会い、そして別れる時に、その人の心に一片の温かさが残るように振る舞える人間でありたい。
うーわ。
もうめっちゃこれ書きながら泣きました。
いつか先生の故郷の土地を訪ねることができますように。
