素敵な女研究部・アメリカ編

首都圏でアメリカ生活を満喫しつつ、いい女を目指すブログ。

多国籍アイデンティティ

日本が唯一の自分の国で、日本しか知らず、日本語しか話さない。

 

ある意味、そういう人が羨ましく思えることがある。選択肢がないということは、色々ごちゃごちゃと考えなくて済むということもである。シンプルだ。

 

私も夫も、アイデンティティが色々混在していて、それを上手に自分の中でまとめながら生きている。

 

私は、親は関西育ちで自分は関東育ち。その時点で、家の中や親戚との関西的な文化と、家の外での関東の文化がすでにごちゃ混ぜになって育った。オチのない関東人とのおしゃべりはたまに疲れる。話の終わりが見えないので、どのように話を聞いたら良いのかわからなくなる時がある。そして大学院からアメリカに行き、既に日本で育ったのと同じくらいの期間をアメリカで過ごした。社会人として私を育ててくれたのは、アメリカなのだ。だから、仕事の仕方、契約に対する考え方、能力主義… この辺は、バッチリアメリカ的な価値観を持っている。さらに全く違う文化圏の中南米でも時間を過ごし、別の価値観を身につけた。時間をキチキチと守ろうと血道を上げることに価値を見出せなくなった。それよりも、場合によっては予定をひっくり返してでも今この瞬間を一緒にいる人と大切に過ごすこと、そういうことに価値を見出すようになった。

 

まぁ、ざっと簡単に書いただけでも、結構私の頭の中がややこしいことはお分かりだろうか。

 

夫も同じ。それぞれアジアの別の国から来た親を持ち、自分もアジアで生まれたものの、幼少期からアメリカで育った、アメリカ人。だけど、親戚一同、それぞれ母方・父方は別のアジア圏の移民として、色濃く自国の文化を継承している。肌の色も私よりも濃い。親との共通語は英語だが、親はそれぞれ別の言語を話す。ピザとステーキが大好きなザ・アメリカンな一面も持ちながら、ご飯と魚とお味噌汁を喜んで食べるアジア人的な側面もある。

 

3カ国経験すると、ユートピアはないと理解し、どの国に対しても愛着を感じながらも、冷静にその長所も短所も分析できるようになる。1つの国を盲目的に礼賛することはなくなる。礼賛できないのだ。なぜなら、多角的な視点を持っているから、完璧な何かなどないと理解している。どこかの国ではマイノリティとしての立場を経験し、どこの国でも人の嫌な部分も良い部分も見ている。それは母国が他のマイノリティに対してする行動についても同じ。

 

まぁそういうわけで、バイリンガルであったり、アイデンティティをたくさん持つことは、複雑な気持ちを経験し、諸手を挙げて母国を礼賛する友人や親たちとは同じ気持ちになれない寂しさも経験することになる。英語でよく使う表現でいう、「be on the same page(本の同じページにいる)」になれない。先日、(その人の周りの)帰国子女の知り合いの半数が親と絶縁している、とツイッターで言っている人がいた。全体で見たとき、半数は多いのではないかと思うけど、そういう人もいるだろうなぁ、というのは想像がつく。

 

そんな複雑な気持ちを持ちながら、もう19回目の独立記念日をお祝いした。自分はアメリカ人だとは思わないけども、純粋な意味で(いわゆる日本人が感じ、期待するような意味で)日本人だ、とも感じない。多分、日本もアメリカもそれぞれ良いところがある、違う国だよね、と感じているというのが一番正直な感想。もはやどこの国所属か、なんてことよりも、自分という軸を拠り所にして生きている。そしていわゆる国家という存在について、少し冷めた目で客観視しているかもしれない。

 

日本で大学生まで育ってもこのような感覚になるのだから、もっと早い段階で国際的な立場に置かれた人はもっと複雑なのに違いない。

 

そして気がつけばアメリカに来て20周年目に入った。あと数年で、日本で生きた時間よりも海外で生きた時間の方が長くなる。どこで生きていようと、自分の人生を精一杯生き切ったな、とそこだけは自信持って自分に言えるように、今後ともこのアイデンティティの複雑な自分と向き合っていこうと思う。

 

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どうしてもこれがやりたくて作ったガトーショコラ。国旗という意味では星条旗はデコレーションが、メキシコのように複雑でなく日本のように単純すぎず、適度でやりやすい。

 

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