2025年は世界情勢を考えても、米国国内政治を見ても、厳しい年になるかもしれない。私たちが通過している日々は、歴史になってから振り返っても、あまり良くない時代に向かっていく過渡期かもしれない。最悪の事態を常に予測しながら、精神的にも物理的にもそういったことに動揺されることがないように準備してかからねば。何がきても驚かないように。
そんな風に思ってました、年始。
ところが、3日に、私たちの友人が突然旅立ってしまいました。
寝ている間に。
何も残さずに。
まだ50代だったのに。
前の晩までFacebookにいて、翌朝にはもうこの世にいなかった。
警察が発見したため検死が行われているものの、未処理のケースが溜まっていて結果が来るのは数ヶ月先らしい。だから何があったのか、まだ誰も知りません。本人も知らなかったことだったのか、本人が決めたことだったのか。
私は年末のパーティに行けなかったので、最後に会ったのは半年前。夫の方はパーティで会って色々と話したばかりでした。今度、彼のお得意の手料理で、コース料理をみんなに振舞ってくれると言ってたのに。
2025年、何が来ても驚くまい。そう思ってましたが、まさか身近な人が旅立つという形は想像してなかった。あまり近しい人が亡くなった経験が少ない私にとっては、正直にいって、どう向き合ったら良いかわからりません。
とびっきり個性的で、いつも笑顔いっぱいで、どんなシャイな人でも前から友達だったような雰囲気で接してくれて、ダーティジョークが大好きで、いつもちょっとだけflirtyで、たまに「マジか」ってことをやってくれる、パーティに呼べば女王のようにテーブルの中心で面白い話をぶちかまして場を盛り上げてくれる、一言で言うといいやつでした。今でも彼の笑顔が目に浮かび、声が聞こえるようです。100%のゲイっぷりを見せつけながら、堂々と自分らしさを貫いて生きていた。
夫の側の友達だし、会った回数は数えてみればそう多くはなかったし、携帯電話も知らないのに、向き合おうとすると涙が溢れてどうにもなりません。映画でも見たいけど、それは現実を受け入れるプロセスから逃げようとしているから。だから書くことで向き合えるかと、そんな気持ちで今書いています。
自分の交通事故で、人生の終わりの瞬間が、結構予想外かつ予定外のタイミングでサラッと来ることがある、と身をもって知りました。でもそれは自分だけじゃなくて、自分の周りの人にも起こりうることでもあるのだとはあまり考えていませんでした。今この瞬間、同じ時にお互い生きている、命がある、一緒に過ごせる、ということが、それだけでどれだけ奇跡的で貴重なことか。
今日は彼のメモリアルサービス(彼を知る人が集まってご飯などを食べながら彼について話したりして弔う会)でしたが、1歳から94歳まで人が来るわ来るわ。同じアパートの老人会一同は揃ってた感じだし、彼の家族、友人、仕事仲間までみんな集まり、誰もが「彼は私の相棒だった」と言って涙ぐみ、どれだけ彼がみんなから愛され、彼もまた周りの人を愛してきたのかが見て取れるものでした。
人生で大事なものは何か。
私はその大事なものをちゃんと大事にしてるか。
そういう問いかけで殴られたような気持ちです。
明日はお葬式。
彼にありがとうと、天国でまた会うまで、しばらくのお別れを言ってきます。
良い1日を。