もう、表題の通り。
今、コロナ真っ最中で、朝から晩まで結構狭いスペースにいる、私とダーリン。
そりゃ、おならも歯ぎしりの音も、聞きますわ。
そりゃ、「今日は何もやる気しない宣言」をする自分も見せますわ。
あごひげがないと中学生に見えるくらい、年下でイケメンの彼だけど、今は故障で運動ができず、薬の影響もあって、かなり太っている。
これが私の新婚生活。
比較的、自分の気持ちを顔に出さない彼と違って、私はポーカーフェイスが苦手なので、もうバレバレ。嬉しい時も落ち込んでる時も、もう「私のすべて、見せます」状態。恋愛中と違って、一番素敵なバージョンの自分を見せるなんて、もう物理的に不可能。一応、そうならないように意識はしてるけど。
しかし四六時中、ずっと一緒なのだ。もう、これ、ちょっと嫌な人と一緒だったら、地獄です。ほんと嫌。今の彼だから、ギャァギャァ喧嘩したり、大笑いしたり、ダラダラしたりしながら、一緒に乗り越えていっている。
で、そこで思う。
結婚相手、妥協しなくて良かった、と。
彼に出会ったのは37歳の時で、39歳の最後の日に結婚した。もちろんそれまでに、大学4年の時に付き合い始めた最初の彼、私をひどい目に合わせた2番目の彼、その後長きにわたる暗黒時代を通過しながら、色んな人に出会った。
途中30を超えたくらいからは、御多分に洩れず親と祖父母の「さっさと結婚しろ」攻撃をかわす日々が始まり、その頃を境にDCにいた同世代の女子たちも日本に帰国しだした。どの子もアメリカの大学院を出ており、可愛くて、そしてアメリカで稼いでいたのだけども。あれはそれぞれが、次の10年間で、日本市場で相手を探すのか、アメリカ市場で粘るか、賭けに出た瞬間だったように思う。
色々考えたけど、私は結局、アメリカ市場に賭けた。自分の性格や主義主張、信条を考えると、確率からして日本市場は難しそうだった。「周りの人がなんと言ってるか」とか「社会的な常識が」とか、そういうのが大っ嫌いで、そういった概念を選択するかしないかまで含めて、自由でいたい私の価値観は、多分、アメリカ市場にいる男性の方が受け入れやすいだろうと考えたのである。こういう価値観を受け入れてくれる人で、かつ私にとって魅力的で、その人も私に恋をし、さらにその他の環境が揃っている人に出会う確率は、そう高くはない。
そして交通事故で死にかねなかった激動の30代、「本当にこれ、結婚できるんだろうか」という自分への心配を振り払い、「子供が欲しいなら、急いだ方が良いよ」という友人の言葉もなぎ払い、アメリカのめちゃくちゃな医療保険制度について考えた時、40歳になっても一人だったら、日本に帰国しよう、と覚悟を決めた矢先に、今の彼に出会った。
まぁ、奇跡みたいなもんだと思う。
でも、諦めなくて良かった、と心から思っている。
だって「まぁ、この人でも、いっか」くらいで結婚した相手だったら、コロナや治安が悪化するアメリカ、自分も相手も仕事にあぶれるかもしれない来年、まさかの友人の裏切りなど、様々な事件を一緒に乗り越えていける自信がない。今の彼だから、喧嘩はするけれど、お互いに対して確かな信頼を持って、一緒に戦っていけると思うのだ。
でも、結婚してみて、子供産んでみて、相手を好きじゃなくなったら離婚して、また相手を探して、とやっていきたい人なら、そこまで結婚相手にこだわらなくて全然良いと思う。私はなんだかんだ保守的なので、できれば一人の人と添い遂げたいため、自分が納得するまで、周りがなんと私の人生に野次を飛ばそうと、相手探しを粘って良かったと思う。
まぁ、服を買うときも、新宿中のデパートをいくつもはしごして、その都度試着して、途中なんどもカフェで一息入れて、だいぶ疲れ切った頃に結局最初のお店に戻って買ったりするような性格なので、私の結婚クエストは、まぁ私らしい展開だったのだろう。
そう考えてみると、私は妥協しない性格なので、「妥協しない方が良い」と思うけれど、本人の性格に合った戦い方ができれば、それで良いのかもしれないですね。
ちなみに、「結婚は戦いだ」と結婚前の母に言い放ったのは、うちの父です。オタクでプレイボーイとは程遠いのに、意外と熱いものを胸に秘めているタイプなのか。