私はできるだけ、夫を褒めまくり、天才と呼び、しばしば持ち上げている。
なぜか?持ち上げたらうまく動くからか?
....まぁそれもある。😂😂😂
だけど、それは10%くらい。
それよりも、今までたくさんの人と別れを経験してきたから、というのが大きい。
どうして
あとから考えたら、私が理想とする結婚相手にはふさわしくなかったけど、その時はわからなかったので、私なりにそれぞれ愛を込めてお付き合いした。でもcompatibleではなかったので別れはやってきて、泣いて泣いて心の中で終わった恋のお葬式をして、「もし縁があるなら、きっと復縁する」と信じて、次に進んできた(→縁はなかったのだろう)。
でも、その時毎回とても感じたのは、
「どうせこうやって終わるなら、どうしてもっと優しい言葉をかけてあげなかったんだろう?」
「どうして、彼がしてくれた素晴らしいこと、嬉しかったこと、をそう感じたのだと、相手にしっかり伝えなかったんだろう?」
と、もうできなくなったことへの後悔だった。特に、一番手ひどい破局になった恋はこっちがフラれた側なので、もう二度と今までのような愛情表現は許されないんだな…ということが本当に痛かった。
何を出し惜しみしていたのか。大げさでもなんでも、嬉しいなら嬉しいと、全身で伝えればよかった。でも、もう別れたし、今さらそんなの意味がない。
まさに、ユーミンの「リフレインが叫んでる」である。
どうしてどうしてできるだけ
やさしくしなかったのだろう
二度と会えなくなるなら
この歌は本当に滲みる。心がヒリヒリする。
だから、褒め言葉や嬉しかったことを相手に伝える時は、出し惜しみしないこと、愛する人ならなおさら、今日が最後だと思って、心を込めて伝えること。これは過去の恋愛からの教訓である。
今日が最後かもしれない
そしてもう1つ。
8年前の交通事故のおかげで、ある日突然、予定外・予想外のタイミングで、それこそちょっとそこまでゴミ出しに行ったら、くらいの感じで、死ぬこともあるのだということも、体で認識している。「明日」とか「そのうち」なんて、本当はとても不確実なもので、次回、なんて、毎回来るものだと思ったら大間違いなのだ。本当に、「え、今!??」という感じで、死がやってくることもある。あの交通事故の時も、事故の瞬間、スローモーションになって、頭の中で「マージかー・・・」とつぶやいていたのを今でも覚えている。まさか自分がこういうことになるとは。幽霊と話ができたら、何割かは「いやマジ聞いてなかったわ」と言うに違いない。😂
だから、私は、最愛の夫に対して、今できることはすべてしてあげたいと思っている。彼がしてくれたことに感謝してることを伝え、いかに彼が天才かを褒め、大好きよと別に理由がなくても、突然ハグしてキスの雨を振らせてあげる。言わなくてもわかるなんて、ケチすぎる。
もちろん、将来そんな気はしなくなることもあるのかもしれない(なんか、子供ができると色々変わるらしいと伝え聞いている)。それはそれでいい。でも、今あげられる愛は惜しみなく、たっぷりあげたい。惜しむ理由がない。
…そんなわけで、我が夫は、かなり調子に乗って、いかに自分が天才かを私に嬉々として話している。😂😂😂 可愛いのぅー。ま、実際ある方面においては、つまり私の弱点である数字とか、ハイレベルな金融の話とか、物理工学的な方面とか、医療とか音響とか(→アレ?結構あるな😅😅)についてはまったく理解不能なので、私からすると「天才」である。彼、掃除能力とどこに物を置いたかの記憶については戦闘能力ゼロだが、まぁそれは本人も自覚している(もちろん「オレは部屋を散らかす天才だぜ」とおっしゃってますが)😹😹😹
人生で100%確実なことは、「全員、最後は死ぬ」ということしかない。そしてそれがいつ来るのか、誰も知らない。明日かも、再来週かもしれないのだ。だったら、出来る時に、いつでも、いくらでも、愛する人に愛を伝えても、損はしない。
どうぞ、後悔のない、素晴らしい1日を。
PS:一部内容を修正しました。