カップルの数だけ愛の形がある
世の中、まぁ色んなカップルがいる。
外から見ている分には、「どうして結婚したのかしら」と思うようなカップルや、「もう見てるだけで美しくて本当に理想的!」など、とにかく色んなカップルがいる。週刊誌などを見れば、そのカップルが意外と簡単に壊れたり、誰かが勝手に書き立てたありもしないけど興味をそそる話があったりして、それに対してこれまたハイエナのようにたかってしのごの批判している人たちを見ることができる。
外から見て他人の人生にいちゃもんをつけるのは、中学生でもできることなんですけどね。まぁセンセーショナルな話は気になるもの。それに有名人でなくても、周りのカップルについて色々考えることもある。
でも実際に結婚してみて思い出すのは、少し先をいく友達の言葉。年齢はちょっと上だけど、結婚歴は少しどころか20年とかなり先輩。その彼女が10年以上前に言っていたのは、これ。
「カップルには、カップルの数だけ、愛の形がある」
この意味は結婚してみて、じんわりと肌でわかった気がする。
世界中で、私たち二人しか知らない絆、喧嘩の理由と仲直りの仕方、ともに乗り越えてきた戦いと過ごしてきた時間・・・があるのだと。
私たち夫婦は、「心にモヤモヤを残さない」ポリシーなので、「何!?」と思ったら、適切なタイミングで全部話し合ってクリアにする。必要のないことは言わないし、言葉は選ぶけれども、聞かれたら答えるし、隠し事をしない。だから、私も一歩も引かないので、なんだかんだヒートアップした議論にもなり(結構論理的に議論してると思うんだけどなぁ…)、その表面だけ見て「このカップルはうまくいってない」と思った人が過去にいた。
周りには、喧嘩を一切しないと言っている夫婦もいるし(そのカップルは目の前でオナラもしないらしい…)、妻が歯を磨いている横で、トイレットペーパーを2つ折りに持ってキバってらっしゃる夫がいても平気、なカップルも知っている(ツワモノすぎる!)。どっちもずっと長年連れ添っている仲の良い先輩カップルだが。
そこだけ切り取って、私の価値観フィルターにかけた場合には、「無理っ!」で「変!😂」だけど、外野には見えない、彼らには彼らだけが知っている、愛の形があるのだ。
人前でも平気で議論(というか日本語的には「口論」に見えるかも?)したとしても、それは私たちがどこに問題があって、どう解決するかを考えるプロセスなので、異なる文化背景を背負って夫婦をやっている私たち二人にとっては、むしろお互いの違いを知り、理解を深め、仲良くやっていくために必要な道。真剣に向き合っているからこそなのだ。私たちは母語が違うために、母国語が同じカップルよりも、物事をクリアにするのに多少回り道はするかもしれないが、Who cares?である。そして私たちの間にどれだけの信頼があるかは、ぱっと見の議論の激しさから判断することはできない。
なんせ、私は宗教にハマりそうなくらい、夫を深く尊敬し、愛している。
こいつは、結構な年下でオレ様野郎のくせして、私の最強の武器。私を深く理解し、応援し、強めてくれる。私の中でうねっているものの1つ1つの現象の名前を教えてくれ、言葉を与えてくれ、私は少しずつ、自分の抱えているものが何なのかを明瞭に理解し、言葉で表せるようになってきた。どこかに、「物事・存在は名前を与えられて初めて意味を持つ」 的なことが書いてあった気がするが、やつは創造主かよ、なんて考えがよぎる所以である。そして私は彼の魂とその真心をとても信じている。
ほんと、彼がオレ様で良かった。たまに「何言ってんだテメェ、調子のんな、コルァ!!!」という行動をしてくれるお陰で、宗教にハマらずに済んでいる。どんなに愛する夫でも、調子乗りはいかん。
まぁそんなわけで、今週は色々と地殻変動のような動きが私の周りでありましたが、ほんっとこの夫がそばにいてくれて良かったと、ずっと探し求めてきてやっと出会えて良かったと、そして信頼できる夫婦関係を一緒に築こうとしてくれる人で良かったなと、心の底から思いました。婚活アプリで出会ってるんですけどね!ふふふ。何経由で出会ったかなんて、関係ないのですよ。鍵は、どれだけ真剣にお互いに向き合うか、どういう風に信頼関係を築くか、どうコミュニケーションするか、かな?まだまだ新米カップル、心を込めて向き合います。
心にいつも愛を。
求めよ、さらば与えられん。
あなたの求めるものが、与えられますように。