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ついに、アメリカの不穏で張り詰めた空気はかなり危険なものになりつつあり、大統領の就任式に向かってその緊張は最高潮に達しそう。このブログでは政治は扱わない予定だったのですが、アメリカ生活において、もう避けようがないところまで来てしまいました。生産性もガタ落ち。
今のアメリカの分断は、マリアナ海溝よりも深い溝が見えるよう。話は「トランプ派かバイデン派か」というような単純なレベルを通り越し、個人の価値観、ひいては政治哲学の域にまで達しているわけですが、911の直後のアメリカの張り詰めた空気のように、今はこのアメリカで、ディベートの国アメリカで、普通の議論すらできなくなってしまいました。
仲良かった友達なのに
先日、「今めっちゃ飲んでる」という酔っ払いメッセージをしてきた翌日、仲良しのAちゃんから電話相談がありました。
「長年の友人と、政治的な見解が合わなくて喧嘩になってしまった。向こうはむしろトランプ派だった」と。
…そうなんですよね。
「トランプ派」という括りは、現状を見えにくくするのであまり良い捉え方ではないと思いますが、とにかく、「自分と同じように考えていると思ってたのに、長年の友人だったのに、違った!」ということを経験している、アメリカ人やアメリカ在住の人は今、多いかもしれません。
しかも今の空気は、「でもXXはどうなの?XXという考えはないのかな?」など、疑問を呈することすらできなくなっている。誰もがとても感情的になっていて、「自分の意見と違う意見は一切聞きたくないし、信じない」ところまでいってしまい、「白でなければ黒」という狭い見方しかできなくなっているように感じる。人間が感情的になった時の反応そのもの。
Aちゃんの方は心の準備がないところに質問されて言い合いになってしまい、仲良かった友人と一太刀交えたみたいなことになってしまったそう。さらにAちゃんの子供はどちらかというと色が浅黒く、彼女の友人の方は白人で、お互いに自分の子供の未来を心配する母親というややこしい立場。子供を守る母親となると、なおさら感情的になってしまうのでしょうね。その後さらにメールでも押し問答が続いてデータの応酬になり(→データを駆使するところがアメリカですが笑)、このまま放っておくと喧嘩別れになりそうで、悲しくてワインに先に相談してしまったらしい。🍷
まぁ私も先日、ここ最近の出来事について、ある10年来のアメリカ人の友人と話していて、見解が食い違うことがありました。普段冷静な彼女も、抑えてるつもりでも感情的になっていることは言葉の端々からわかる。そしてそうこうしてたら別の友人が、ご両親と意見が食い違ってヒートアップした議論になってしまったそう。
自分にとって大事なものは何か
911の時はまだ、自分はアメリカに来たばっかりだったし、英語での議論も慣れていないし、外様・オブザーバー的な立場を標榜しても大丈夫でした。でも、流石に在米20年で友人もたくさんいるとなると、知らぬ存ぜぬ、では通らない。
その時にちょっと思い出したんですね。去年の失敗を。
この時の議論は富の再分配、つまり金持ちと貧乏人をどう考えるかという問題でしたが、とにかく、長年の友人と意見が食い違ってしまった(しかもテキストで…最悪ですね、はい)。
でもその時に思ったのは、
お互いパラパラーっと新聞・雑誌で読んだ程度の情報、その場にいたわけでもなく、自分の目ですべてを見てもなければ、全部調べ尽くしたわけでもない情報を元に議論して、感情的になってお互いを説得しようとしたり論破することが、自分の信じていることが正しいのだと主張することが、そこまで大事だろうか、ということでした。
個人的な状況が違う人もいると思います。相手にもよるでしょう。
「頭悪いんじゃないの、ボケ!」と罵倒してバカにして、二度と合わなくても良い相手もいるかもしれない。
でも。
- ずっと友達として頼りにしてきた人の考えに、本当に1ミリも正しさはなく、本当に自分は100%完全無欠で正しいと言えるのか?
- 自分が見落としていること、知らないことは絶対にない、と言えるのか?
- 自分の主張が、感情的になるような経験が裏打ちされているからといって、逆に相手には相手の別の経験があることは認めないのか?
- そして、「知らなかった」情報に後で気付いた時に、これだけ感情的になって喧嘩別れした友情を簡単に取り戻せると思うか?
そうやって考えたら、相手を論破して自分の正しさを友人に対して証明しようとすることに、私は意味を見出せませんでした。冷静に考えてみると、私にとっては、長年培ってきた友人との友情と一緒に過ごした時間の方が大事だったのです。少なくとも、論破すべき相手はこの友人じゃない。
仮に相手を一人でも説得することが大事だったとしても、戦略的に適切ではない。だいたい、どんな喧嘩でも、感情的になっている相手に正論を滔々と述べて、納得してくれるわけがないのです。それに感情に感情で対抗してうまくいくわけがないことも目に見えている。だから、やり方として適切ではない。
これは今日の今の時点でのことであって、状況が変われば、違う判断もあると思います。
相手をわかろうとしてるのだろうか?
そんな時に見たこちらのツイート。
そうなんですよね。
13歳でここまで理解しているとは。
私なんて、軽く35年はこれを理解できずに、「どうしてわかってくれないの」と悲しんでました。その割に、わかろうとする努力は足りてなかったな。自分の考えを力説すれば、わかってくれるんだと思ってました。
で、どうするか?
お互いが感情的にヒートアップしている現段階、お互いの話を聞く準備ができていない今の段階では、私は「このトピックは感情的になってしまうから、今は話すのをやめよう」と提案することを勧め、私が意見が合わなかった友人も、「I'm sorry」と言ってこれに同意してくれました。私たちは、政治的な見解がどうであれ、お互いの友情を大事にしたいという点については同じ気持ちだったわけです。
もしくは、黙ってその人の意見を聞くことに徹する、というのもありだと思います。最低でも、自分の感情をコントロールする訓練にもなりますからね。
「政治と宗教の話はするな」と親に言われて育ちましたが、ドイツでもアメリカでも、どちらのトピックも自分の意見を言えることはとても大事。「わからない」「わからないふりをする」というのは、場合によっては知性を疑われますが、今こそ、母親のこの言葉を守る時、そういう時と場合もあるのだな、と感じる次第です。人生だいぶ経ってからわかる、母の偉大さ✨でした笑。
心に愛を
今のアメリカで、冷静さを保つのはとても大変です。もう3億総瞬間湯沸かし器になってますから。でも、そんな時こそ、自分のスタンダードを上げて、心に愛を持って周りの人たちと接したいですね。
あーーーーーーめっちゃしんど!!!!
(→これが本音笑。頑張れ、私。We can do it, dear American friends!)
そしてまぁ、長なりましたわ。最後まで読んでくださった方、感謝です。