一番高価な贈り物
うちは現在、絶賛山あり谷ありの谷、それもものすごい切り立った渓谷を、二人して前進している。落石を避け、危険な動物を察知して避け、水飛沫をあげる急流に流されないように、手をつないで離れないように頑張って進んでいる感じ。
私もこんな人生の危機を迎えようとは思ってなかったが、でも二人で乗り越える危機はそれはそれで楽しい。いや〜しかし、やばい。なかなかやばいな〜。やばいんだが、絶対に数年後には家を買うので(言霊‼️😤)、そこを目指して二人で頑張るのは楽しいぞ。
さてそんなわけで、残念ながら色々手一杯であるため、人にあまり高価な贈り物はできない。
しかも私の周りのお世話になっている人たちは、既に結構お金には困ってない人が多く、安物の下手なプレゼントなんて、むしろいらないだろうと思う。
困った。
困りはするが、結局のところ、お金があろうとなかろうと、人生で一番高価な贈りものは、
人の話を何も言わずにじっと聞いてあげること
自分の(限られた大事な)時間を使ってあげること
じゃないかと、この歳になると思うのだ。
お金で買えるものは、ある意味では安いのだ。お金がある人にとっては。もちろん買いに行く手間はあるが、それにそのお金を作り出すのにはとても苦労するけれど、でもチャチャっと買えるものでもある。そしてその人でなくても、それを買って贈ることはできる。だが一番難しいのは、自分の貴重で限りある時間をわざわざ人のために割くこと。その人の話をじっと、その人のことを決めつけずに、こっちから結論やらアドバイスやらを出さずに、ただただ最後まで聞いてあげること。これはやってあげる人によって結果が違ってくる。誰がやっても同じではない。
できそうでできないが、夫氏と彼の友人らはお互いにやっている。すごいなと思う。
次に、お金がなくても、時間があまりなくてもできる贈りもの。
それは、その人を褒める言葉だと思う。
褒めれば何か良いことがあるからやるのではなく、本当にそう思った時に、心からその人に言ってあげること。これは誰にでも、毎日でもできる小さな愛の贈りもの。それが本人の心をその日温めるかもしれないし、自信を取り戻すきっかけになるかもしれない。キャリア転換するきっかけにだってなるかもしれない(→なった)。
今日はすごく肌が綺麗だね!
その服、良いね!
その考え方、すごく斬新だね!
そんなちょっとした言葉が、その日一日、心に残ったりする。
人の心にパッと光を灯すような言葉の贈りもの。それはあげるのも無料だし、減るもんじゃない。だから、お金があろうがなかろうが、相手が他人だろうが家族だろうが、いつもあげられる時にはあげたいものだ。
そんなわけで、今日も夫氏のオタクトークを聞く。ガラクタ売り場で見つけた、切れて使えないケーブルのワイヤが銀でできていて、それを修繕すれば、数年後には数千ドルで売れるんだそうだ。はぁ、そうですか… というやつを「うんうん、へええ」とひたすら聞き、そんなマイナーな情報をよく知ってるねぇ、すごいねぇ、さすが私の夫だねぇ!と褒める(だって実際、その通りだと思うし😂)。小学生がアリの観察で発見した話をするみたいに、私に一生懸命話しているのがかわいい。
とにかく今は大したことはできないが、それでも毎日できることはある。
愛はお金がなくても心に持てるものであり、人にもあげられるものなのだ💕
ついに辿り着いた情熱大陸!
ジェイソンも喜ぶ 13日の金曜日!
いや〜 今日は半ドン。かれこれ3週間ぶりくらいに、やっと一息つけそうです。週末は土曜は他州での結婚式出席、日曜は歓迎会、とまたも休めませんが… ここのところ多分20日くらいは休みなしでやってきたので、過労死寸前でブログも書けてませんでした。
でも!!
どうやら人生は好転している模様。
労働はしたくない。
私のキャリア人生を振り返りますと、大学院のあと、ワシントンDCには、目的と目標を持って、自分の意思で、トランク1つで乗り込んできました。それから10年、血湧き肉躍る仕事を夢中でやりきりましたが、交通事故もあってふと立ち止まることになり、キャリアを一度中断させて旅に出ました。
前の仕事は、自分が知りたいことを追求することが仕事だったので、馬車馬のように働いてましたが、私のミッション・使命だから、ワクワクするからやっていました。だから、どれだけ残業しようと、「労働している、お金を得るために仕方なくやっている」と感じたプロジェクトはあまりありませんでした(↓ にもちょっと書きましたが)。
旅からDCに戻った後、お仕事を頂けたのは本当にありがたいことで、海外でフリーで生きながらえることができました。でも。1つ1つは面白いものだったのですが、最初の仕事と同じように血湧き肉躍る、つまりやっているだけでワクワクするようなこと、それでいて私が情熱を注いだ分に見合った対価がもらえ、キャリアと結婚生活を両方維持できるような形、そういうビジョンを描けるものに長いこと出会えませんでした。できるからやるのと、好きだからやるのとは違う。贅沢ですが、私の一生も1回しかないので、それに見あった時間の使い方をしたい。
実は、今やっているお仕事の1つの面接で、何を言われたか忘れましたが、回答する代わりに「I'm looking for my mission(私は自分の使命を探しているんです)」と回答して、「え?あ、そうよね…」という顔をされたことがあります。私も太くなったもんだ😂。
求めよ、さらば与えられん。
で、飢えるの覚悟で雇われの身に戻ることなく、何足もの草鞋を履きながら、ひたすら探し続けた結果…
それが、やっと見つかった気がします!!!!
というわけで、現在、見た目はキャリアを180度転換中。私の中ではずっと1つの線でつながっているんですけどね。母には、「あなたほど、色んなことをやっている人はこの人生で見たことがない」と言われてしまいましたが、母に頂いた命、一瞬たりとも無駄にはしてないことは請け合いますぜ!
43歳にして、新しい業界に飛び込んでいるので、まずは実績作りからですが、もうそのプロセスの全てが楽しい。確実に、血湧き、肉踊っております。思い返せば、小学校くらいからぼんやりと好きだったこと、自然とやってきたことに、何周回かして結局そこに戻ってきたようです。心の声は、大事にしたい。
人生は、いつでも今日が一番若い。
人生を楽しくするカギは、いつでも自分の中にある。
今日という日は、素晴らしい未来を作り出すための、その一歩を踏み出すためにある。
✨✨✨そして、夢は必ず叶う✨✨✨
かれこれ7年間探し回りましたが、次の展開が自分で楽しみです。
皆様、輝かしい週末を!
女は美学
このブログのテーマである、「女の生き方」。結局、出産というオプションがある女性の人生双六の進め方は、本当に多種多様で難しい。
早くに結婚して子供を産んでおくも良し。その後離婚して違う人と連れそうも良し。
キャリア街道まっしぐら、というかやりたいことをやりまくって30代を謳歌した後に結婚するも良し。
この選択には、環境もあるし、個人の性格もある。結婚よりもやりたいことがハッキリ見えてる人もいれば、恋愛ゲームが大好きな人もいるし、結婚にもセックスにもキャリアにもさほど興味のない人もいる。そもそも子供を産む選択肢がない人もいれば、障害を持つ子供を持つこともある。
結局、正解があるようで全然ない。むしろ、いかに
「自分にとっての正解は何か」
を探すことが、女の人生のような気もする(あ、でもまだ43のヒヨッコですが😂)。
人の真似をすることが、必ずしも自分の性格や環境や生き方にあっているとは限らない。結局、自分にとって何が最適なのか、何をしていると楽しくて自分の人生を自分で舵を切っているように感じられるか、なんだかんだ行き着くところは自分探しにも直結している。逆に、人の真似をすればするほど、人が妬ましく、隣の芝が青く見え、自分が惨めになっていくだろう。
「私はこれでいきます」と言い切るには、それなりの勇気もいるけれど、人の真似をしたところで、世の中の「普通」とは何かを探してそれに合わせたところで、それはどんどん変化していく、moving target(移動していく的)なのだ。固定された的は射やすいが、ゴールがどんどん変わってしまうゲームを続けるのは辛い。
それより、他人の価値観に振り回されるのをやめて、自分基準で生きる方がいい。私の人生の100分の1も知らない他人がどう思おうと、何を言おうと、結局は誰も私の人生の選択に対して責任を負ってはくれないのだから。そんな無責任なものに私の貴重な人生の時間を委ねるほど、私の人生は安くない。そして私基準というのは、つまりは自分の美学でもある。
どう生きたいか。
どういう生き方がカッコいいと思えるか。
明日死んだとしても、どう生きている自分なら、よくやった、と自分を誇りに思えるか。
それで十分である。
他人の価値観に照らし合わせて自分がどうかよりも、自分の信条・美学・哲学に照らし合わせて、私はカッコよく生きているのか。問うべきは、それだけだ。
いつも2000字前後余裕でいっちゃうので、今日は短めに。
私なりの女の美学に関係するトピックはこちらからどうぞ。
さぁ、緑豊かな皐月ですね。
輝かしい1週間を。
読了:『女子の人間関係』
最近、ふと思うところがあり、水島宏子著『女子の人間関係』という本をAmazonでダウンロードしてしまった。1日で読了できる軽い本で、個人的には初っ端というか、根本的なところで同意できない部分はあるものの、全体的にはそれなりに「なるほど」と学ぶことがあり、色々と線を引いてみた。
嫌な「女」
この本の主論は、いわゆる嫌な女(男性の前でぶりっ子するとか、恋人ができると態度が変わるとか、群れたがるとか、感情的に敵・味方を決めるとか、陰口が好きだとか…)は、心に傷を負った女であり、それにどう対応するかが鍵で、可能であればその傷を癒してあげられればベスト、ということだった。(この本ではそういう「女性特有」の問題を抱えた人のことを「女」と鉤括弧付きで表現されているので、ここでもそれに倣っておく。)そしてその考え方を説明した後で、駐在の婦人会とかママ友とか子離れできない母親とか、実に30例近い事例別に、対処方法が書いてあった。
私はここに出てくる嫌な「女」とはかなり無縁の世界で長いこと生きてきたので、こういうタイプはとっても苦手。今の私の親しい女友達には、こういうタイプはいない(そういう人との関係は淘汰されたという可能性と、私が鈍感すぎて気づいていない可能性はあるが😂)。私は女子中学・高校だったが、男性のいない世界では、「男性に選ばれる、選ばれない」が無関係の世界であり、イジメも女子的陰湿な世界もなく、もうそれはそれは実に平和で牧歌的な6年間だった。うちの中高の卒業生はちょっと変わっているとも言われているのも理解できる。そして私は多分、この本の中に出てくる「変わった人」を演じているのではなく、素で「変わった人」なのだと思う。まぁそういうわけで、この本に書いてある対女子の処世術は、正直「クソ面倒くさい」とも思う。こういう「女」の存在しない世界で生きてくると、必要がないことばかりだから。
女は選ばれる性?
で、この「『女』は心に傷を負っている」というその根拠・理由は、「女は選ばれる性だから」だそうだ。それがことの始まりという感じで(あまり根拠もなく)書いてあるのだが、これにはすごく違和感を感じた。なぜかというと、「いかに女性は選ぶ性で、男性は選ばれる側であるか」という真逆の話を、日本人女子ともアメリカ人男子とも、何度もしたことがあったから。実際のところ、デートアプリでも、「女性の方が男性から声をかけられることが多く、男性は数打ちゃ当たる方式でどれだけ声をかけてもあまり引っかからない」という話をよく聞く(どこに行ってもモテるアルファメールを除く)。科学的根拠があるかは不明だが、男性はどちらかというとなるべく多くタネを撒きたく、女性は最も優秀なオスを1匹選ぼうとする、ともいうではないか(これもまぁ雑な言い方だが)。そう考えると、むしろ女性の方が選んでいるように感じるのだけれど。
まぁそもそも大した論拠があるわけでもないので、どっちが正しいかはあまり大事ではない。でも思うに、「選ばれる」と受け身でいる時点で、この「女」の悲劇は始まっているのではないかと思う。人生の苦難しかり。「〜された」と受け身でいればいるほど、悲観的になるし、卑屈になるし、苦難をもたらした相手を攻撃することに神経が集中する。そうではなく、すべてのことは自分で選んだ結果、と考えると、「おっとそうきたか… んじゃどうするかな?」と解決方法について考える方にエネルギーを使えるし、その苦難をもたらした相手にいつまでも囚われることがない。同じタイミングで降りかからないだけで、見えていないだけで、苦難は誰にでも降りかかるけれど、その時どう対応するか、には自由がある。自分で選べるのだ。
で、男性についても、「自分が選ばれる」のではなく、「自分が選ぶ」と考え、当然相手もそうやって選んでいるのだ、と考えれば、勝手に傷つかないのではないかなぁ…と思うのですが、いかがでしょう。この世に男性は「35億」もいる。そのうちたかが数人とミスマッチだったとして、それがなんだと言うのだ。多分それは選ばれなくて良かった縁なのかもしれないし。そんな男性に「選ばれなかった」ことについて時間と心のエネルギーを費やすよりも、自分にあう男性を探す方法や、選ぶというプロセスを磨きあげることにエネルギーを費やした方が、幸せへの近道だ。ちょっとだけガッカリする、感情面の処理は少し慣れと工夫が必要だけどね。あ、ちなみにワタクシ、美女ではござらぬので、「美人だからそう言えるんでしょ」ということはない(誠に残念である😂)。
で、中学からの親友に、「私って人とちょっと違うかな?変わってるかな?」と中学生みたいな質問をしてみたところ、「まったくそう思わない」との回答だったので、「それって私たちが二人とも変わっているから、気づいてないって可能性はあると思う?」と追加質問したら、「その可能性はある!😂😂😂😂😂」だそうだ。もう〜大好きよ。こういうことを直で話せる親友がいて、心の底から幸せだ。こういう女友達、こういう幸せな女子の人間関係を増やしたいよな。
この本にあるように、「癒してあげる」というメンタリティになれるまで、まだ先は長そうだけれど、この本、読んでみれば何かしらヒントは得られると思う。気になる方はご一読あれ。
別れは必然的な選択かもしれない
最近、周りで何人かの人が別れを経験したのを見ている。
グダグダで別れるだけでも1ヶ月を要した男性もいるし(彼が最後まで引きずってた)、突然別れがやってきた人もいる。
必然だったかもしれない
私ももう本当に数え切れないほど別れを経験した。自分で振ったこともあれば、振られたこともある。30過ぎた別れは「また結婚できなかった」という現実も突きつけられ、「私はこの先本当に結婚できるのだろうか」と悲しくてヤサグレたこともある(ちなみに、その後ろくなことがなかったので、やさぐれるのはオススメしない)。
兎にも角にも、別れる時に毎回、私の心の中で最終的に落ち着いた落とし所は、
「縁があればまたつながる」
だった。人生において、友達の縁が切れてたのがまた時を経てつながったこともあるし。
実際、これは正しい判断だったと思う。
つまり、とても馬が合う夫と結婚してみて振り返ると、別れた人々はやっぱり私とはあっていなかったと今なら確信を持って言えるのだ。確かに付き合ったからには、自分の中の属性・特性とその人の持つ何かとが共鳴した部分があったから付き合ったのだけど、その部分は私の核となる部分ではなかったり、一過性の何かだったり。付き合ったことに意味はあったけど、長続きするcompatibilityではなかった。むしろ、彼らと結婚することにならなくて、本当に良かったと思う。多分、破綻したであろうことが、今ならよく見える。当時の私もしくは彼は、きっと本能的な、心のどこかで聞こえてくる声で、NOと感じていたから、最終的に別れることになったのだろう。
その証拠というわけではないが、別れた人や振った人のその後を見ると、「あぁなるほど」と思う、私よりもずっとお似合いだな、と思う人と結婚しているのだ。その人にとって大事だったことが何か、結婚相手を見て納得したこともある。だいぶ経ってから、心から、「お似合いの人が見つかって良かったね」とすら思えるようになった。
人はわからんもんやで
まったく別の話で、「ネットで嫌がらせにあって、IPを調べたら親友だった」というツイートを見て、母が「人はわからんもんやで」と言っていたのを思い出した。あるとてもおとなしい物静かな友人が、10年後に会ったら夫が投資で成功して大儲けして、その成金話を延々と聞かされて驚いたのだとか。そういう人だとはまったく思わなかったと。
多分、その人は突如として豹変・人格が変わったわけではなく、そういう部分もあったのだけど、以前はその部分が特に表に出ない状況だっただけではないかしら。
私もこの歳になると、「その人のことをある程度知っているようで、すべては知らないし、知らない部分を私が勝手に適当に自分の想像でこうだろう、と埋めている可能性がある」ということには気づいている。私たちは、その人のざっくりとした属性・特徴を、「派手な人」とか「細かい人」とか、自分の経験してきた数に見合うだけの属性バスケットに入れて、そこに色んな出来事で見聞きしたその人の反応の記憶を入れておいて、その集合体を見て、なんとなくその人を知ったつもりでいるんじゃないかしら。
でも人間て多面的だし、実際のところ、自分だって知らなかった自分を発見することだってある。
まぁ何が言いたいかというと、昔の恋人のことも、「知っている」つもりだったこともあるんだろうなぁ・・・と。私が分かる範囲・知り得る範囲で理解してただけで、その人を深くは理解してなかった部分もあるかもしれない。
友達から相談の多い夫氏は現在、人生・恋愛相談センターみたいになっており、友人たちのために割いてあげる時間を見ていると、仕事にしたらどうかと思うぐらい。でも彼らの話も含め、私の経験を踏まえても、結果的に「別れなかった方が幸せだった」と思える関係は今のところ、見たことがない。だから即ち100%全員別れて正解、とは言っていないが、人と人との関係が崩れたり、別れることになるには、それなりに理由があり、そして必ずしも、長期的に見るとお互いにとってネガティブなことではないのではないかと思うのだ。
心の傷はすぐには癒えないし、傷は傷。今だってあの痛みは覚えている。以前も書いたけど、心が失血死するかと思ったし、死にたいと思ったこともあるし、いつまでこの恋愛サイクルをやってるんだろうと苦しくなったこともある。完全に癒えるのに10年かかったやつもある。
でも少し泣き止んだら、そのまま続かなかった方が良かった関係もある、きっともっと良い関係があり得るから、今はこの関係のチャプターを終わりにするのだ、と考えても、良いかもしれない。
その涙が涸れる日が早く来ますように。
幸せに満ちた日々が早く訪れますように。
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結婚は戦い
幸せな結婚。
大好きな人と結婚して、子供ができて、家族が繁栄してみんなで暮らしていく。
ぼんやりといつからか持っていた、幸せな家庭のイメージ。
最近、これって意外とそんなに簡単に手に入るものではないのではないか、という気がしている。
私の友人にも、少なくとも外から見たら幸せそうなカップルはもちろんいるのだけど、苦労している人の方が多い気がする。
子供もいて離婚した女友達。結婚しなかった女友達多数。結婚してすぐ別居した女友達。若くに子供を産んで結婚・離婚をした後、ずっとシュガーパパを探している女友達。
一回り年下の女の子に振り回されて、もう10回くらい別れたりヨリを戻したりしている男の子。もう2年以上散々な扱いをされて、浮気も数回された上に最近振られたにも関わらず、まだヨリを戻せる可能性を探っている男の子。もう結婚してしまった相手を諦められない男の子…
…枚挙にいとまがない。上記、国籍はバラバラで、日本人もアメリカ人もメキシコ人も入ってるが、全員30−50代の友人たちで、みんなある時点で相手を探してたのを知っている。かくいう私は、散々恋愛道を山越え谷越えした後、なんとか40直前で結婚はしたは良いが、子供を授かるには少し遅きに逸したようで、現在不妊治療中。
いやね、世の中の常識とか流れに逆行しているかもしれないのだけれど、不妊教育に加えて、「自分に相応しい伴侶を見つける」ってそんなに簡単じゃないし、それなりに頭も時間も使うことなのだ、というのをもっと早くに知る機会があっても良かったのかなぁ・・・と思ったりしてるんでございます。
世の中は近年ずっと日本もアメリカも、女性のキャリアアップを後押ししている。それに従って女子として、経済的自立ができるようしっかりと高等教育を受け、さらに凄まじい競争の世界で生き残っていくために、キャリア戦線を戦い抜く。が、そうこうしている間に、気がつけば不妊治療が必要な年齢になっている… 不妊治療の成功率だってよくわかってなかった… そして年齢が上がれば上がるほど、現実問題としてなかなか結婚が難しくなっていく。
いや、そうじゃない人もいる。いや、価値観は色々ある。はい、でも今そういう話をしていません。例外を掘り起こしても、問題はなくならない。自分の中でどうケリをつけるかはそれぞれだけど、and yes、女性のキャリアアップはもちろん大事だけれど、だからといって、じゃぁそもそも結婚するのは簡単なのかと言ったらそうじゃない。何を幸せと感じるかの話をしているのではなく、「誰でも自分にピッタリの人と結婚できて子供を産んで家庭を持てるのかというと、意外とそうでもなさそうだ」ということを言いたいのですわ。
うまくやっていける、大好きな相手を見つけること、そういう相手を見つけるために自分自身も成長すること。それには、この学校に行ってこの資格とって、この会社に入れば良い、というようなわかりやすい道筋がない分、また個々人で性分も違うからやり方も違う分、さらに一人でやれるわけではない分、実は知性を要する難しい道のりだと思うのだ… 生きていくためには同時に仕事もしなければならないし、経済力は確かに大事。
母は反面教師に近いことも多かったけれど、「自分にあった伴侶を見つける」ことについては、私の知っている範囲で彼女の右に出るものはいない。彼女には、自分に必要なもの、自分が得たいものは何かを知っており、そうでないものを判別する力が若くして備わっていたと言える。そういう、結婚相手を見つけることに関して参考になる人が近くにいたのは恵まれていたと思う(専業主婦なので、それとキャリアをどう組み合わせるのか、についてはまったく参考にならず、そこでだいぶ時間を食ったが)。そして結婚前に、「結婚は戦いだ」と母に言ったのは、我が父。まぁモテる方ではない父が、モテる方の母の愛を勝ち取ったのだから、確かに戦いだったのかもしれない(そういえば、夫氏のお父さんもこのパターンではある😂・・・ってか二人ともこのブログ見てないよな?!??😅😂😂😂)。でも実際のところ、動物だって相手を勝ち取るために戦うこともあるんだし、意外とやっぱり戦いなんじゃないかな、という気もする。
うまく伝わってるかわからないけど… 何が幸せか論はさておき、なんだか誰でも得られそうな、キャリアアップよりも簡単なことのような印象を与える、「自分に相応しい結婚相手を見つけて、子供を産んで、家庭を持つ」って、意外とそんなに簡単じゃないんじゃないの、もしそうと知ってたら、キャリア形成の過程でもう少し違ったアプローチもあったのかな、と、特に結論もなく、たらればな気持ちがモヤっておるのであります。
さて。どうやら2年ぶりに風邪ひいたっぽいので、今晩は葛根湯とルルを飲んで、オチも付けずにさっさと寝ます。
良い週末を!
レシピ:獅子唐ビーフでごはんがススム君♬
素敵な女研究部へようこそ!
今日は久しぶりのレシピ紹介です。
その名も獅子唐ビーフ©️!✨
なんて単純なネーミング😂😂😂 でもこれが大好きなのはダーリンなので、シンプルイズベストってことで、彼が言い出した呼び名をそのまま採用。このレシピは私の思いつきで、どこかで見たものはないので、とりあえず©️させていただきます😂。
私のレシピは基本、
「すぐできる&適当」
がポイント。こう見えても人生を楽しむのに忙しいので😂、丁寧に分量測ってうんたらという作業はよっぽど気合を入れて予定しないとできない性格でして。そういうわけで、レシピも超適当ですが、味は受け合いますぜ。これを食べた友人にも教えてほしいと言われたレシピで、うちでは以前ご紹介したサワーポーク(↓)と並ぶリピート率を誇るレシピ、いざ!
獅子唐ビーフの作り方
<具材>
- 牛薄切り(Hマートで1パック20ドルくらいの薄切り肉。少し脂分多め。うちではジップロックに入れて常に冷凍庫に入ってます)
- 獅子唐(あるだけ、好きなだけ。目安として今回は10本くらい)
- ニンニク(数かけ、量は好みで)
- キクラゲ(一つかみ、乾燥してるのは水で戻しておく)
- ドウチ(豆豉。Amazonで買えます。好きなだけ。一つかみ)
- 塩・胡椒(もしくはガーリックソルト)
- オイスターソース
- 中華だし(鶏だし)
- 五香粉(中華スパイス、あってもなくても良し)
- 油(私は基本的にオリーブオイルを使います)
<作り方>
要は、具材を切って、中華鍋で炒めて味付けする、です。簡単!
- 具材を切る。切り方なんて決まってませんが、食べやすい大きさに揃えるのがポイント。獅子唐は斜め切り、ニンニクはスライス、キクラゲは太めの千切りにします。
- オリーブオイルをたらした中華鍋にニンニクを散らして火を通す。色づく程度まで。苦くなるので焦がさないように!
- 牛薄切りをざっと入れる。中華鍋いっぱいに冷凍の肉を放り込む。冷凍のを入れると中華鍋に一杯入れてもぺしゃっとなりますが、既にしなっている生の場合は、半分くらいかしら。
- 牛肉に火が通ったら、獅子唐を入れて火を通す。火を入れた時の獅子唐と牛肉の見た目分量(要は茶色と緑の目分量)が同じくらい、が私の目安です。見た目と味の問題。
- キクラゲとドウチを入れる。この2つはすぐ火が通るので、最後で良し。キクラゲは火にかけるとパチっと飛ぶこともあるので注意。
- 味付けタイム。中華だし、塩胡椒(もしくはガーリックソルト)、オイスターソースを入れる。
<ヒント>
- 味付けのコツは、「まずは少しずつ入れ、もっと食べたい味のスパイスを増やす」です。ザッと入れてしまうともうどうしようもないので、今日の私ちょっと控えめじゃない?ってくらいから始めると失敗しません。
- 味付け、面倒くさければ、香味ペースト(オイスター醤油味)一本でもOK!以前、お土産にもらって使って重宝しました。アメリカではまだ見たことないな…
- 五香粉は中華風になるスパイスですが、少し甘さが加わって私はそこまで好きでもないので、入れないこともあります。夫は大好きなので、気分で入れることも。なくても全然OK。好みの問題。
- ドウチは、黒豆を発酵させたもので、ブルーチーズとか納豆みたいな発酵系にありがちな、少し匂いのある濃ゆい風味を出してくれ、味が数段深まるので、うちでは中華料理にはかなり使います。麻婆豆腐はもちろん、チャーハンに入れるも良し。ということで、冷凍庫で保管(硬くならず、そのまま使えます)。
- キクラゲはなくても良いですが、あるとプチプチして食感が楽しく、栄養価も上がってよし。Hマートに生のも乾燥したのも売っていて、乾燥版はワカメのようにいつでも使えるので重宝です。瓶に水と一緒に入れてふやかして、冷蔵庫で1週間は持ちます。
レシピ裏話
このレシピは本当に思いつきで、その日冷蔵庫にあった食べたいものを炒めたらこうなった、という感じ。我が夫氏は、ものすごく味にうるさく、好みが細かく、塩胡椒などの「割合」をものすごく大切にする御人。なんでも食べるタイプではないので、正直、一つ間違うと、料理に関してはかなり面倒くさいやつでもあります。
そんなわけで、超適当な私も、多少は味に関してある程度のレベルを目指すようにしております。でも、こんな面倒な彼ですが、同じ食べ物を続けて食べる、ということに関しては無頓着で、一度気に入ったらずっとそれを食べ続けてくれるというナイスポイントもあるので、「美味しい」と言ったものは、何度でも作って料理として確立させ、「とりあえず満足してくれるレシピ」を少しずつ増やしております。大雑把で面倒くさがりの私にとっては、1つ1つのレシピが愛の結晶。いくつこういうレシピを集められるかな?
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